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「働く」や「生きる」ことを見つめ直す 株式会社「わらむ」のわら作り体験
株式会社わらむ
「自分が継がなくては文化が消えてしまう」。そんな思いから会社員を辞めて、わら職人になった方が飯島町にいます。現在は相撲の土俵が作れる職人になりました。そんな方に教えてもらえる、わら草履づくり体験。職人さんが会社員を辞めるまでの深いライフストーリーも伺いました。贅沢すぎる体験と、人生と仕事についてのお話をお伝えします
会社員を辞めて、職人に。今は相撲の土俵をつくるわら職人。
職人さんの名前は、酒井裕司さん。酒井さんの今までのことが気になり、過去にインタビューを受けているラジオを聴きながら飯島町へ車で向かいます。「職人」と聞くと、寡黙で、真面目、集中しているお仕事だから、あまり気安く話しかけてはいけなさそう…。私は勝手にそんなイメージを持っていました。でも、ラジオの声から抱く印象は、まるで「アナウンサー」。よどみなく言葉を紡ぎ、とても柔らかい印象を受けます。このお人柄なら、手先が不器用な私でも怒られなさそう…。ちょっと安心しました。ちょうどラジオを聞き終わった頃、作業場に着きました。作業場に入ると、奥の畳の上で職人さんたちが、黙々とわら細工の制作をされています。
どの方が今日お会いする予定の職人さんなのだろうか。じっと職人さんたちを見つめていると「お待たせしました!」とラジオで聞いていた声の方が現れました。株式会社わらむのわら職人 酒井裕司さんです。ラジオを聞いた時に抱いたイメージ通り、「僕、集中して制作するのも好きなんですが、人と話すことも大好きなんです」と楽しそうに話します。
わら職人の酒井裕司さんラジオを聞いて抱いたイメージ通り、
裸足になって、わらを足の指に絡ませる
早速、奥の畳の上に座って、靴下を脱ぎます。座って作業をするので、体験に行く方はズボンを履いて行った方が良さそうです。「こうやって、足の指を使って編むようにわらを編んでいくんです」。
今日作るのは、わら草履。スッスと、酒井さんは器用に指にわらを絡ませていきます。慣れるまでは難しく感じますが、同じ動作の繰り返しのようです。相撲の土俵を作る職人さんに、わら草履の作り方をマンツーマンで教えてもらえるなんて!感動でウルっとしますが、心が乱れると草履の形が曲がります。「イタタ!」途中で足がしびれながらも、20分ほど同じ作業をすると、草履の片足ができました。
さあ、私が作ったのはどちらでしょう?(正解は、上)
明らかに足の幅より狭い草履ができました。でもちょっと足がはみ出るくらいの方が可愛いよね、そう言い聞かせて自分を納得させます。出来上がった草履を嗅ぐとわらのいい香り。

両足作り終わると、作った草履に愛着が湧きます。作ったものはお土産用に持って帰ってください、とお気遣いをいただき、職人さんが作ったわらじを履いて、酒井さんとこれから町に繰り出します。足を怪我しないように、靴の上からわらじを履いてみます。この日、私はスノーブーツを履いていたため、足が入るか不安でしたが、問題なくわらじはフィットしました。
スノーブーツの上からわらじを履く。
わらじで歩きながら聞く、職人になるまでのライフストーリー
飯島町は飯の島という名がつくように、米どころ。全国の市町村でも課題になっているように、飯島町でも近年過疎化が進んでいます。酒井さんは、会社員時代に飯島町を元気にしたいと考え、趣味のマラソンと米俵を掛け合わせ、米俵を背負って走る、「米俵マラソン」を考えつきます。でもそこで問題が発生。「参加者分の手作りの米俵が必要になったので、農家さんに制作をお願いしに行くと、今どき米俵を手作りできる農家はあるのか、と逆に聞かれてしまって…」。米袋が流通している今、農家さんも米俵を作る必要がなくなり、現在ではわらを扱う職人さんはほとんどいなくなってしまったそうです。その時、マラソンを開催するため、必死で職人さんに弟子入りし、50個を徹夜して自分で作ったと笑います。その時の職人さんとの出会いで「職人として、自分がこの文化を継がなければ、わら作りをする人がいなくなってしまう」と感じ、職人の世界に入ったそうです。「米俵マラソン」は、相撲の土俵づくりにもつながっています。土俵にもともと土俵に仕上げる前の「こも」は、職人の高齢化や後継者不足のため、業者側で新たな作り手を探していたといいます。そこで「米俵マラソン」用に大量の米俵を納品していたわらむに、白羽の矢が立ちます。日本相撲協会に土俵用の資材を納入する東京都の業者から、製作を依頼されるようになりました。
わらの可能性を誰よりも信じている酒井さんは、以前に農林水産省が仕掛ける農山漁村ローカルビジネス支援事業で「わらしべ長者プロジェクト」というビジネスプランを発表し、最優秀賞を受賞されています。米農家さんがわらを全て有効活用することで豊かになり、職人としても雇用ができる。地域も産業ができて持続可能になる三方よしのアイデアです。

酒井さんは自ら職人でありながら、次の職人を育て、自社の商品開発にも力を入れます。自社で作った良質なわらを使った、猫の寝床になる「ねこつぐら」や、BBQなどでも本格的なわら焼きが食べられるようにと、「わら焼き」キットなど話を伺うほど、わらの可能性に驚きます。納豆好きな私は、お土産にわら納豆キットを購入させていただきました。
最後に「酒井さんのアイディアの秘訣は?」と伺うと、「今参加している、PTAの活動などからもヒントを得られますね」と笑顔で教えてくださいました。本気でわらのことばかり考えている酒井さんには、すべての事柄がわらの事業のヒントにつながっているようです。会社を辞めて、わらに魂を込めて向き合う酒井さんの姿やお話は、「仕事」という概念を超えた刺激的なものでした。酒井さんが、わらに出会ったのは37歳の時。人生を変える出会いや経験に年齢は関係ないんだ。そう未来に希望を持てる時間となりました。この体験では、わらを使ったものづくりが体験できるだけではなく、何かできる気がする!と、力が湧くような酒井さんと出会えます。純粋にわらのことを知りたいという方はもちろん、日々の小さなヒントを掴んで形にする秘訣を知りたい方などにオススメです。ぜひ、飯島町まで足を運んでみてください。



株式会社わらむ
長野県上伊那郡飯島町飯島1482-3
TEL0265-95-3315
https://waramu.jp

*この記事は、令和3年3月に制作し、令和6年1月に一部内容の見直しをしたものです。
みんなの体験記ライター
投稿者山下実紗
年代20代(27歳)
趣味旅と読書とラジオ
自己紹介夫婦でシェアハウスをするなど、新しいライフスタイルと地域に根ざした活動を研究中。学生時代はブラジルに留学し、大学卒業後は独立行政法人で働いた後、まちづくり会社にジョイン。ほか個人事業主としても、ライターやファシリテーションなど小商いで生きる。