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伝統と革新のバランス。 伊那谷最古の酒蔵・小野酒造店に学ぶサステナブルな商いのあり方
小野酒造店
およそ1万以上もの銘柄があるといわれる日本酒。

そのなかで大胆にも、日本文学の最高傑作ともいわれる島崎藤村の小説『夜明け前』の名を冠した銘柄をもつ酒蔵があることをご存知でしょうか。

今の感覚で例えるならば「ノルウェイの森」を日本酒の名前にしてしまうようなイメージ…? 例えが適切かはともかく、とにかくユニークなことはお分かりいただけるかと思います。

その酒蔵は伊那谷の最北端、辰野町小野宿にある「小野酒造店」。同店は伊那谷で操業する蔵元の中で最古といわれる、明治維新前夜の元治元年(1864年)に創業しました。

そんな歴史ある酒蔵ですが、お話を伺ってみると…。

「地産地消が良いとは限らない」

「ワインは原材料で決まるが、日本酒は技術で決まる」

「他の酒蔵がやらないことをやったから、うちは生き残れた」

良い意味で常識を覆されるお話の数々に、日本酒に詳しくない私もメモが止まらなくなり、好奇心が刺激される取材になりました。

小野酒造が150年以上にわたって、酒づくりをつないでこられた秘訣を、風土や歴史から紐解いていきます。
小野はピュアな水に恵まれた「最上流の田舎」
「木曽路はすべて山の中である」

小説『夜明け前」はこんな書き出しから始まります。小野酒造店がある小野宿はまさにその表現にぴったりの、山中の趣深い旧宿場町。

松本平と伊那平を結ぶ交通の要所として栄え、今でも県の重要文化財が残る歴史的な街並みが残っており、古き良き日本にタイムスリップしたかのような場所です。

日本の分水嶺(*1)である善鳥(うとう)峠を経て小野酒造店に向かう途中、大きな鳥居が道を覆うように現れます。まるで神社の入り口に入っていくようで、神聖な世界に足を踏み入れたような感覚に陥るほど、小野宿は静かで厳かな雰囲気に包まれています。

(*1 太平洋と日本海を分かつ、雨水の分かれ道)
「北埜くん、よく来てくれました」

小野酒造店に到着すると出迎えてくれたのは、6代目社長の小野能正さん。元ラグビークラブチーム出身という小野さんはがっしりとした体格ですが、物腰が柔らかく、優しい印象を感じます。

小野さんのお人柄に通ずるのか、小野酒造店の日本酒は柔らかく丸みを帯びていて、どこか女性的な雰囲気があるといわれます。

日本酒のガツンとした味が苦手な私でさえ、小野酒造店の夜明け前を初めて口にしたとき、さらっと飲みやすく「これなら美味しく飲める!」と感動したほど。やさしく素直な味わいなのです。

「夜明け前が目指しているのは、上品な華やかさがあり、口当たりがまろやかで、なおかつ切れがある、もう一杯飲みたくなるようなお酒です。祝事などハレの日だけでなく日常で飲み親しんで欲しいという思いがあります」

小野さんは代表酒である夜明け前の特徴について、このように語ってくれました。
小野さん曰く日本酒は、「水、酒米、蔵人の技術」、この3つでほぼ決まるのだとか。

「まず水について。うちは質の良い水に恵まれているんです。なぜかといえば、小野宿は、“最上流の田舎”なんですよ。このあたりは標高が800mくらいある高所で、この上には集落がないので、雨が降って山や地下で濾過された純粋な水をそのまま日本酒に使うことができるんです」

小野酒造店の日本酒は、仕込み水に「表流水」と呼ばれる地中の淀みなく流れる水を使っているのだそう。表流水とは、地中の比較的浅い部分を流れている水のこと。粘土層よりも地中深く、様々な水が混ざり合いながら、いくつもの岩盤で濾過された「伏流水」とは異なり、素直な水質が表流水の特徴といわれています。

地中の表層を流れる表流水は、周辺の土壌環境が悪いとすぐに汚れてしまいますが、上流かつ、自然環境がきれいな小野だからこそ、表流水でも問題なく日本酒に使うことが出来てきたのです。混じり気のない、ピュアな水を贅沢に使うことができる環境が、夜明け前の飲みやすくスッキリした口当たりにもつながっているのかもしれません。

また、上流にある酒蔵だからこそ、水に対する意識も高くなっていきます。

「小野の水は、そのまま天竜川を下って太平洋に流れ込みます。なるべくこの水を汚さないようにと、下流への意識も自然と高くなりますね。最近では、蔵の様々な熱源に使うボイラーを、重油式からガスボイラーに変えたんです。ウチの蔵は川の近くにありますので、重油は漏れ出た時の周囲の環境への影響がとてもこわい。大きな投資でしたが、自然環境への影響も考えれば必要なことでしたね」

近頃は、山の土地を切り開いたソーラーパネル建設も増えており、自然を守るために難しい状況にもあると小野さん。地域の自然と一心同体だからこそ、自然と人間の暮らしとのバランスを崩さないよう、不断の努力が続けられているのです。
「地産地消だから良い」とは限らない。飛躍をもたらした「異例の選択」とは
日本酒に大きな影響を与える要素として、酒米と蔵人についてはどうなのでしょうか?

小野さんの口から飛び出したのは、「ワインはテロワール、日本酒はテクノロジーだと思っているんです」という、意外な視点でした。

「テロワールというのは、フランス語で風土を意味していて、その土地のものを生かした酒づくりが良いとされています。でも、日本酒は水を除けば、蔵人の技術(=テクノロジー)によるところが大きい」

ワインは原料であるブドウによって味も香りも大きく変わってきますが、日本酒は味や香りが大きくは変わらない酒米を使うため、蔵人の技術で差が出てくるといいます。それこそが、「日本酒はテクノロジー」という理由です。

「大資本の酒蔵は、最新技術を使って安定的にうまい酒を量産する体制が整っています。でもうちのような小さな蔵は、一本一本を工芸品といえるくらいの完成度に高めていかないと戦っていけない」

科学技術という形のテクノロジーに頼る酒蔵も増える中で、小野酒造はあくまで人間のクラフトマンシップにこだわっています。

また、原材料である酒米への考え方もユニークです。

「よく地産地消が良いといわれますよね。地元の酒米を使うことが地酒という考え方が現在強くいわれるようになってきましたが、私たちは地元の素材を生かすということは、うまい酒をつくる手段であって目的ではないと考えているんです。だからこそ、うちは地元産の酒造好適米もたくさん使いますが、最高峰の酒米として知られる兵庫県産の山田錦もふんだんに使っています」。

世間の一般論やトレンドに惑わされることなく、独自の哲学を貫く姿に、小野酒造店の矜持を感じます。
最高の酒米といわれる山田錦特等米(兵庫県小野市下東条産、三木市口吉川産)
ブレない酒づくりの姿勢に、根強いファンが多い小野酒造店。しかし、かつては地元である辰野町ですらシェアは3位ほどで、県内大手の酒蔵の品に圧倒されていたといいます。

「私が入社した昭和56年当時、地元辰野町でもうちはよくて三番手でね。蔵のある小野地区以外では値引き販売でもしない限り、知名度がないということで取り扱ってくれない酒販店が多かったんです」

昭和の末期には、蔵人(酒づくり職人)の高齢化も深刻になっていました。そんなピンチの中、起死回生の一手として、他の造り酒屋では異例とも言える選択をします。

「この辺の酒屋は、近隣から杜氏 を呼んでくるのが普通でした。でも、私たちは南部杜氏を呼ぶことにした。ご縁がありまして岩手県石巻市にいた杜氏さんに来てもらったんです。この選択でガラッと世界が変わりました」

「それまでは普通酒が大半で、酒販店とは主に10本売ったら1本おまけするような商売がほとんどでしたが、南部杜氏であった大沼さんは大変優秀な杜氏(*2)で、東京の酒屋が大沼さんを追ってきて“大沼さんが作るなら”とうちの酒も扱ってくれるようになりました。良いお酒を作れば売ってくれる店はあるんだと衝撃を受けましたよ」

そんな大沼さんの手によって昭和60年に誕生したのが、「夜明け前」の生一本でした。

「初めて口にしたときは、“こんな日本酒飲んだことない!”と感動しましたね。フルーティーでまろやかな味わいで、当時から今に至るまで、うちの代表的な酒になりました」

その味わいは当時首都圏を中心に勃興しつつあった日本酒専門店市場で評価され、吟醸酒が各種鑑評会で入賞するなどの成果もあって、小野酒造店は徐々に日本酒専門店市場に浸透。そのことが地元でも評価を受けることにつながり、日本酒にとって厳しい環境の中でも、今日まで少しずつ業績を伸ばしてきました。

「もしもあのとき、方向転換していなかったらうちは終わっていたかもしれません」

重要な局面で守りに入らずに、あえて攻めたからこそ今の小野酒造店があることがわかるエピソードです。

(*2:日本酒づくりにおける責任者)
夜明け前 生一本は地元からも愛される名酒。
老舗を革新する、2つの新しいプロジェクトも始動中
そのようなチャレンジを経て、今では辰野町の酒販店はもちろん、長野県内の酒専門店でも多く取り扱われるなど、知る人ぞ知る名酒に。東京など首都圏の若手世代にもファンが広がっています。

伝統を守るだけではない、革新的な取り組みは、今も続けられています。その代表的な取り組みが、「ORESAKEプロジェクト」と「姉御酒プロジェクト」です。

「ORESAKEプロジェクト」は、新成人になった若者を対象にした初めての酒づくり体験プロジェクトで、若者の酒離れが叫ばれる中で、少しでも若い世代に酒づくりに関心を持ってもらうために始まったもの。昔ながらの手作業の酒づくりを1から実際に、蔵人と共に体験できるという、酒好きには堪らない体験プロジェクトです。

普段は、足を踏み入れることすらできない酒蔵の中に入って、酒造りの現場に関われる──それだけで酔ってしまいそうな、贅沢な体験です。
もう一つの「姉御酒プロジェクト」は、2022年から始まったばかりの新プロジェクト。小野酒造店と、辰野町に関心を持つ社会人メンバー5人が協働で立ち上げました。

こちらは、小野酒造店や日本酒の魅力を発信してくれる女性アンバサダーを募集して、酒づくりやラベルデザインまで一緒に体験できるPRプロジェクト。ORESAKEプロジェクトの女性版ということで、「姉御」の名前になっています。こちらも大人気で、全国から80名を超える応募者が集まったそう。2月から、実際に小野酒造店の公式アンバサダーがInstagramで情報を発信しています。
姉御酒プロジェクトメンバーが杜氏の清都さんから酒蔵案内されているところ
「社会人メンバーの皆さんから“姉御酒プロジェクト”の提案をもらったときは、そんなに人が集まるのかなと心配でしたが、蓋を開けてみたらこれだけ多くの方に応募してもらって驚きました。自分たちだけでは、思いつかないことも、外部の方とつながっていくことで挑戦できると思っていますから、今後も続けていきたいですね」

小野酒造店に取材をした2021年は依然として世の中が先の見えない霧の中にあります。もちろん、酒蔵も大打撃を受けていて、小野さんも「昭和の大恐慌、戦争に次ぐ3回目の危機」と話します。

コロナだけでなく、酒文化の多様化や、少子高齢化、リアル店舗からネット販売への移行など、日本酒を取り巻く環境は年々、厳しくなっています。

「夜明け前が一番暗い」

島崎藤村が書いた小説「夜明け前」にはこんな一節が登場します。

小野酒造店にとっても今を生きる私たちにとっても、心の中で深く響く言葉であるように感じられます。

まさに夜明け前のいま、世相をあらわす名酒を飲んで、新しい時代に向けて思いを巡らせてみてはいかがでしょうか。

株式会社小野酒造
長野県上伊那郡辰野町小野992-1
TEL:0266-46-2505
HP:https://yoakemae-ono.com//*令和4年10月現在の情報です。
みんなの体験記ライター
投稿者北埜航太
年代20代
趣味カフェ、古民家、歴史ある町めぐり、ジブリ
自己紹介東京の文京区から辰野町に移り住みました。無垢の暮らしが残る、自然体の伊那谷が好きです。そんな伊那谷の雰囲気そのままに飾らない言葉で伝えられるように頑張ります。