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泊まろう、伊那谷。
「手づくりパンのおいしいペンションに、帰省するように泊まる」編
なぜか懐かしく、心安らぐ 今ふたたびの「ペンションステイ」を
改めて考えてみたい。旅の醍醐味とは一体、どのようなものだろう。
まだ見ぬ場所に行くこと?まだ知らない体験に出合うこと?
そんな冒険や開拓のような旅ももちろん良いけれど、それは旅の喜びの、ほんの一側面にすぎないのかもしれない。

たとえば、毎年夏休みに出かけた、海辺のあの宿。
毎冬、雪道をかきわけるようにして訪ねた、あのスキー宿。
未知が既知になった、その先になお続いていく「通う旅」には、
「通う」ことでしか得られない感慨が、たしかにある。

少しずつ覚えていった道、必ず立ち寄りたいお気に入りの店、
何度訪れても変わらない、自然の景観──。
その記憶は人の心に、静かにあたたかく降り積もっていく。
ヨーロッパで広く営まれている家族経営の宿泊施設にヒントを得て、1960年代の終わりから日本全国に広まっていったとされる小規模宿泊所、ペンション。この小さな宿には、「通う旅」がよく似合う。
駒ヶ根のインターから車で約5分、小さな森に包まれるようにしてある「めいぷる」も、その一つ。今年で創業30年を迎える古参のペンションだ。
めいぷる全景
訪ねたのは、ある夏の日。素朴なログハウス調の外観が愛らしいその宿の前に立つだけで、いつかの遠い思い出が蘇りそうな、なんとも甘酸っぱい気持ちになってしまった。

創業者は水谷彰男さん87歳。現在ここを切り盛りするのは、娘である水谷恵里さんと、その夫の耕平さんだ。年輪が美しい一枚板のテーブルを挟んで、恵里さんはなつかしそうに創業当時のことを話してくれた。
水谷耕平さん、恵里さん
「父はもともと、伊那谷に工場を構えるカメラメーカーに勤めていたんです。でも54歳のとき、脳溢血で倒れてしまって。幸い、事なきを得たのですが、これをきっかけに『このまま会社に人生を捧げたいわけじゃない』と、早期退職を考えるようになったようで。

そんなとき、当時母が働いていた近所の焼き鳥屋の常連さんたちから、『伊那谷は工場があるから出張に来る人が多いけど、泊まるところがなくてみんな困っているんだよ』っていう話をたびたび聞いていて。ならばと、父の退職と同時に、気軽に泊まってもらえるペンションをはじめよる話が進んでいったんです」

そして1991年、彰男さん57歳のときに「めいぷる」は開業。
木の温もりいっぱいのこの建物の外観や内装は、宿の運営を一緒に手伝うことになっていた恵里さんの希望を反映したものだという。

「でもね、夢いっぱいではじめたわけじゃなく、むしろその逆。きっと、お父さんが会社勤めしていたころのような生活はできないだろう、貧乏になるだろうってみんな、覚悟をしてはじめたんですよ」
しかし、いざ宿を開けてみれば、待ちかねていた出張客ですぐに予約は埋まり、大賑わいに。28歳で耕平さんと結婚し、子育てもしながら、恵里さんは駆け抜けるように年月を過ごしてきた。
窓辺に高原の緑を感じながら 思いのまま気楽に、のんびりと
「うちの宿はおしゃれなわけでもないし、もう古いから。いたって“普通”なんです」

謙遜する恵里さんのあとについて、館内を案内していただく。
2階の客室は、洋室が4室に、和室も2室。傾斜した天井と木の梁が、なんだか屋根裏部屋を思わせる。“高原”のイメージにぴったりな趣のこの部屋で、ゆっくり遅寝をして、その日行く場所の計画を練って……と、考えただけでワクワクしてしまう。
客室の前の廊下の先は、檜の香りが漂う男女別の浴室。こちらも高い天井にほどよい広さ、森林の借景が見えるのもいい。

「ここは、外の景色も含めて気に入っていただけるみたい。お客様から、『森林浴をしてるみたいだね』って言われます」

各部屋のちょうど中心にある共有スペースには、エレクトーンにマッサージチェアもあり、客室よりもぐっと気楽な「実家感」のあるしつらい。窓の向こうの森を感じながら、本棚に並んだ小説や漫画を読み耽れば、あっという間に時間が過ぎ去ってしまいそうだ。
ところで、館内あちこちの壁に、木版画がかかっていることにお気づきだろうか。
こちら、すべて父・水谷彰男さんによるもの。
なんとお父様は、国際芸術展等での受賞歴も持つ、画家としての一面も持っているのだとか。

「父は、10代のころから絵を描いていたそうです。母は父にとって高校時代に出会った初恋の人で、母が亡くなるまでずっと仲良しだったけれど、結婚するときには『俺は絵を描くから、それだけは文句をつけてくれるな』と約束をさせたらしいです。
少し前に『手が動かなくなった』と、ほとんど描くことは止めてしまったのですが、それまではいくつかの画会にも所属し、休みの日は友人とスケッチ旅にでかけていました」

「父が描いた絵に、タイトルをつけるのはいつも母の役割でした」。そんな仲睦まじいエピソードも納得してしまうほど、その画風は明るく、おおらか。山を愛し、自然を愛したという水谷さんの、忙しいながらも心豊かなペンションオーナーとしての日々の喜びが刻まれているようだ。
2階には、最愛の妻を描いた作品も。「顔は全然違うのよ」と恵里さんは笑うが、身に付けていた衣服の柄まで精緻に再現している
魅力は、伊那谷の恵みが息づく 「等身大のおもてなし」にあり
さあ、恵里さんが用意してくれた朝食をいただこう。じつは「めいぷる」、地元民の集い等でレストラン利用されるほど、料理のおいしさにも定評がある。

「宿泊のお客様の夕食はステーキを名物にしていて、朝は手づくりパンを添えた洋食が定番です。パンは友人に触発されて20年くらい前から焼き始めました。この丸パンの緑色はよもぎ。水は一切つかわず、よもぎと牛乳で仕上げているから、しっとりおいしいですよ」
野菜や果物はできるかぎり地のもの、旬のもので。甘酸っぱいジャムは、庭でとれた「フサスグリ」。伊那谷のめぐみをあちこちに感じる心遣いにうれしくなる。

「うちにあるフサスグリの木は一本だけだから、ほんの少しでおしまい。でもおいしいし、めずらしいから喜んでもらえるかなって思って、毎年煮ているんです。ふだんはりんごジャムを定番にして、お土産にと販売もしています」

「そんなに大したことじゃないの」「特別すごいものじゃないのよ」。恵里さんはたびたびそういうけれど、だからこそここには伊那谷のありのままの豊かさが息づき、人の心をほっと和ませるのかもしれない。
もちろん、館内のしつらいに重ねてきた年月を感じないわけではない。けれど、愛情をもって守られてきたことが伝わる経年の跡は、むしろ人の心をほぐしてくれる。一朝一夕には獲得できない、この空間はまるごと、「いま、ペンションに泊まること」の楽しさを伝えているような気さえしてしまう。

「スキーや山のレジャーで来る人がほとんどだけれど、なかには家族連れで来て、うちの前の公園で子どもと遊んで『楽しかった!』って帰っていく方もいるし、『お庭の草むしりしたいです!』って手伝ってくれた人もいたわね(笑)。どこか行かなきゃもったいないんじゃない?って思っちゃうけれど、そういうのがいいんですって」

そうそう、ここでなら私もそんな、“うかうかした時間”を、存分にすごしてみたい。
ペンションめいぷる
<住所>長野県上伊那郡宮田村4824-7
<電話>0265-85-5335
<受付時間> チェックイン15:00~、チェックアウト10:00
<宿泊料金>1泊2食付 9,680円~、1泊朝食付6,380円~ (合宿料金、ビジネス料金あり)
<設備>TV、冷暖房、羽毛布団、お茶セット、フェイスタオル、歯ブラシ、男女別展望風呂2 など
<ウェブサイト> http://www.meipuru.com/