伊那谷、水をめぐる物語
1. 水を治め、水を活かす。暴れ天竜を鎮(しず)めた重力式ダム「美和ダム」
おはなし 天竜川ダム統合管理事務所美和ダム管理支所 支所長 上沼博司さん
上空から見た美和ダム(写真提供=天竜川ダム統合管理事務所美和ダム管理支所)
ダム湖百選にも認定された、「すぐ会いに行けるダム」
長野県伊那市の東・三峰川(みぶがわ)の上流部に位置する美和ダム。1959年の運用開始以来、治水、かんがい、発電を目的とする多目的ダムとして伊那谷をときに守り、ときに潤す役割を担い続けてきました。
中央道伊那インターチェンジからは、車で約30分。伊那市の中心地からも20分程度で行くことができるうえ、すぐ近くには焼き立てのパンが味わえるパン店を備えた「道の駅 南アルプスむら」も。そんなアクセスのよさや見どころの豊富さから、美和ダムは伊那谷の人気旅行スポットの一つにもなっています。
「いつも管理する目線で見ているので、あくまでもここを訪れる方からお聞きした感想なのですが……」
そう言いながら、旅行者目線の美和ダムの魅力を話してくださったのは、天竜川ダム統合管理事務所美和ダム管理支所支所長の、上沼博司さん。
「ここ一帯は三峰川水系県立公園にも指定されていて、高遠湖畔には1500本のコヒガンザクラで有名な高遠城址もあります。春の桜の他、緑がさわやかな夏、紅葉の秋、堤体の雪化粧が美しい冬と、四季折々の美しさも評価され、ダム湖百選にも選ばれているんです。そして、集落や道の駅も近く、人が訪ねやすい位置にあることも、例年1万人以上という多くの方がいらしてくださる要因なのだと思います」
風光明媚な「すぐ会いに行けるダム」。これが、美和ダム人気の大きな理由のようです。
ダム建設前の90年は、2年に一度の割合で洪水被害が
しかし、なぜそもそもこの場所にダムができたのでしょう。
「明治以降このダムができるまでの90年間、三峰川や天竜川は平均すると2年に一度の割合で氾濫し、人々の生活を脅かしてきた、文字通りの“暴れ川”だったんです」
上沼さんがいうとおり、三峰川は急峻な山々が連なる山岳地帯を源流とし、土砂崩落の発生しやすい中央構造線※沿いを流れている、という厳しい自然条件をもつ河川。大雨などによって天竜川もろとも氾濫すれば、伊那谷一帯を巻き込むような甚大な水害を引き起こすため、治水は長年の課題でした。
この大きな水の力を、「恵みの水」として生かすためのダム建設の構想は、第二次世界大戦前からあったのだとか。戦争によって一時頓挫したものの、戦後「日本の発展のためにも治水は優先事業」との考えから、計画が再始動。1953年に工事着手され、6年の歳月をかけて完成に至ったのだといいます。
※中央構造線・・・関東から九州まで1000kmにもおよぶ日本最大級の断層。ダム上流約3kmには断層が間近で見ることができる公園がある。
工事前の風景(写真提供=天竜川ダム統合管理事務所美和ダム管理支所)
そして、
「三峰川沿川のなかでも、この地点に重力式ダムが建てられた理由、ということで言えば、地質や川の蛇行の具合など、さまざまな条件から最適と判断されたからです」
と、上沼さん。ここで「重力式」という美和ダムの形式についても説明をしてくださいました。
「『重力式コンクリートダム』とは、例えるなら相撲の力士のように重いコンクリートの塊が水の流れをドンと堰き止め、その重さで水圧に耐えているもの。日本でもっとも多く用いられている形式です。一方、近隣の『小渋ダム※』が採用しているのは、『アーチ式ダム』。これはいわば、しなった竹のような格好で、左右の岩盤の力も借りて水圧に耐える形式です。谷幅の狭い地形と丈夫な岩盤という自然条件等が整っていれば、重力式ダムに比べてダムの厚さが薄く済み、少ない材料で建設できるという利点があります。それぞれのダムの設置環境に合わせて、最適な形式が選ばれているんです」
重力式は相撲の力士、アーチ式はしなった竹のようなアーチと岩盤で水の重みに耐える――上沼さんのわかりやすいたとえで、ダムが急に身近に感じられるようです。
※長野県上伊那郡中川村と下伊那郡松川町の境に位置するダム
暴れる水は、電力に変えて。堆積した土砂も骨材等に有効活用
というわけで、美和ダムが果たす第一の役割は、まず洪水を防ぎ人々の暮らしを守る「治水」を行うこと。「6月から9月ごろまでの雨や台風が多い時期は、たとえ休みで家にいても放水のタイミングが気になって落ち着きません。近年は短時間に集中した雨が降ることが多く、より緊張感が高まります」と上沼さんが話すとおり、ダム管理事務所の的確な判断により、安全な水量が保たれ、下流の人々の暮らしが守られているといえます。
上空から見た美和ダムの様子(写真提供=天竜川ダム統合管理事務所美和ダム管理支所)
加えて美和ダムには、「多目的ダム」と言われるとおり、さまざまな役割が備わっています。
「まずは、かんがい用水としての活用。じつは、三峰川沿川一帯や伊那市東部の農耕地は、地形等の理由から取水がむずかしく、水不足に悩まされてきたという課題もありました。しかし、美和ダムの建設とともに三峰川総合開発の一環として水路を改築したことで、ダムからの水の供給と直接取水の双方が可能に。水不足を解消するとともに農地面積は約2倍に拡大したのです。
そして、もう一つの大きな機能が「発電」。美和ダムに貯められた水は美和発電所と春近発電所という二つの発電所に送られ発電が行われています。その発電量は伊那市をはじめとする上伊那郡の1市3町1村の全世帯分の電気消費をまかなえるほど。流れる水のエネルギーが大いに有効活用されているんです。
最後に、ダム設置の目的ではないのであまり知られていないのが、ダムに流れ込んだ土砂の適切な処理と活用です。じつはこの地の砂利はコンクリートの骨材として優秀な性質をもっていることから、砂利資源として活かされています、また砂利より細かい土砂は他事業(圃場整備等)の造成材料として活用され、これまでこれらに活用した土砂は約820万m3で、ダムに堆積した土砂の約50%にあたります」
さらに機能を高めるために。日本初の挑戦とともに、進化し続ける美和ダム
三峰川の豊かな水を治めながら、その力をさまざまな恵みへと変えている美和ダム。じつはこのダムでは近年、ある試みが始まったことが、ダムファンに広く知られています。それは、ダムの貯水機能を低下させる『土砂』を下流へと適度に流し、貯水池の土砂堆積を抑制する『土砂バイパストンネル』の設置。2005年に完成し、長い試験運用を経て、2019年より本格運用が実施されています。
「海辺の砂浜が減ってなくなってしまうという『海岸侵食』の問題を耳にしたことがある方もいるかもしれません。この要因の一つが、ダム設置による海への供給土砂量の減少であると言われています。これを解消しながら、ダムの貯水機能を維持するため役割を果たそうとしているのが『土砂バイパストンネル』です。これは、ダムに流れ込んだ土砂のうち、一部の微細なものをバイパストンネルから下流に流すというもの。土砂が適度に下流に流れることで、土砂の連続性を確保し、流域の環境保全・再生に役立つことが期待されています。
これまでに約86万m3をバイパスしダム貯水池の土砂堆積を防いでいます。
2021年3月には、国内初の試みになるダム貯水池に堆積した微細な土砂を一時貯めておき、洪水時に排砂するための『ストックヤード(湖内堆砂対策施設)』も完成。現在、試験運用を行って機能の確認と最適な運用方法についてのモニタリング調査が行われているところです」
美和ダムの堤防前にて説明をする上沼博司さん
完成してしまえばその効果が意識されることは少なくなってしまうのがダムの常。けれど、すでに設置されたダムでは、適切な運用のための工夫や、環境課題の改善に取り組むなど、日々進化のための試みが続けられている──そのことに改めて気付かされる今回のお話でした。
「水害が起こらず、ダムが注目されないことが、安全が維持されている証なのかもしれません」そう上沼さんは話しながら、最後にこんなメッセージを伝えてくれました。
「地域の安全を守りながら、水利用などを行っているダムの目的や、堆積土砂への取り組みについて、多くの方にご理解いただいたうえで、ダムと自然が育んだ景観も楽しんでいただけたらと思います。そしてもう一つ、私たちが水を放流するときには、常に人を巻き込むことがないよう、細心の注意を払って実施しています。放流のサイレンが聞こえたら、すみやかに川から離れていただくよう、重ねてお願い申し上げます」
伊那市長谷のカフェ「木楽茶屋」で食べられる「美和ダムカレー」のサンプルを手に。美和ダム管理支所内の学習センター「みわっこ」には、美和ダムがもつ機能やダム建設までの道のりに関する多様な資料や動画が揃っている
美和ダム管理支所内学習センター「みわっこ」
長野県伊那市長谷非持345
0265-98-2111
8:30~17:15
https://www.cbr.mlit.go.jp/tendamu/※現在は新型コロナウイルス感染拡大防止のため閉鎖中です。開館状況はHP、ツイッタ-などで確認ください。
カフェ木楽茶屋
長野県伊那市長谷黒河内2217
090-1694-2084
営業日・時間:金・土・日、10:00~16:00
https://tyaya.favy.jp/※ダムカレーは1日5食限定