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其の二  伝承の食べ方、こだわりの栽培
福島県・会津から〝逆輸入〟した「高遠そば」
「高遠そば」またの名「辛つゆそば」を知っていますか?

辛みのきいたたっぷりの大根おろしと共に冷たいそばを食べる伊那谷の独特なそばの食べ方です。大根おろしに焼いた味噌と鰹節を加える食べ方、しょうゆ味のつけ汁に大根おろしを入れる食べ方、さらにこの両者の混合形(しょうゆベースのつけ汁+大根おろし+焼きみそ)もあります。

そばは他の食べ方でも美味しいですが、せっかく伊那谷にいらっしゃったのなら、ぜひ一度は、「高遠そば」「辛つゆそば」を味わってみてください。



歴史的には、大根おろし+焼きみそ+鰹節のパターンの方が古いと言われています。

この食べ方は、伊那谷に古くから伝わるもので、「辛つゆそば」と呼ばれてきました。これが「高遠そば」とも呼ばれるようになったのは、平成10年頃からのこと。きっかけは、伊那市高遠(当時は高遠町)の人々が福島県会津地方を訪ねた折に、そこで「辛つゆそば」と同じ食べ方が「高遠そば」という名称で提供されていることを知ったことからでした。



江戸時代初期に信濃国高遠藩には藩主として保科正之公がおられました。その後、お国替えで、出羽の国(山形県)山形藩主を経て、陸奥国(福島県)会津藩の初代藩主になられました。実は、この方、江戸幕府三代将軍徳川家光公の異母弟で、会津で会津松平家を立ち上げました。家光公と四代将軍家綱公を補佐して江戸幕府の土台を築いた「屈指の名君」と呼ばれている方です。

その保科正之公は、そばが大好物だったそうで、お国替えの際に、ソバの種と一緒に、それを栽培する農家とその粉でそばを打つ職人たちも連れて行ったという言い伝えがあります。このような経緯があったために会津の地にも、「辛つゆそば」の食べ方が伝わり、その始まりの地であった「高遠」の名前と共に継承されていたというわけです。(※食べ物としては「そば」、農作物としては「ソバ」と表記を使い分けています)



保科公が会津に移ってから約360年後、会津を訪ね、そこで「高遠そば」を発見した高遠町の人々はとても感動しました。それで、「高遠そば」の呼び方を〝逆輸入〟して、伊那谷のそば食文化の発展に使わせてもらってきたのです。
寒冷地らしい方法で保存した「寒晒し(かんざらし)そば」
写真提供:高遠そば組合
厳寒の信州らしいそばの一つに「寒晒しそば」があります。ソバの実を、凍り付くような冷たさの冬の川の水に半月間ほど浸して、その後じっくり天日乾燥で乾かし低温で保存し、夏にそれを粉に挽いて食べるという手の込んだ食べ方です。「寒晒し」することでそばの甘みが増し、香りも高くなると言われています。



この「寒晒し」の手法は八ヶ岳山麓地帯でも取り組まれていますが、「そば食」文化がいち早く発展していた伊那谷地域でも江戸時代から取り組まれていたと言われています。現在の伊那谷では、伊那市高遠町のそば店等でつくる高遠そば組合が、毎年1月に伊那市長谷地区の渓流にソバの実を浸し、立春の日を目途に引き上げて乾燥して保存する取り組みを進めています。



現状では、高遠の城下町を中心に高遠そば店組合の6店舗(壱刻、華留運(けるん)、ますや、楽座紅葉軒、紅さくら、きし野)で7月中旬に提供されます。まだ量に限りがあり、1店舗当たり100~120食検討ですから、この時期を狙って、お出かけください。
伊那谷のソバ栽培の歴史
伊那谷のそば栽培の歴史は古く、長野県の地域の地理や歴史、風俗を詳細に調査された故市川健夫氏(東京学芸大学名誉教授・元長野歴史館館長)の大著「信州学大全」によれば、天竜川東岸の南アルプスとその前衛峰となる伊那山地との間、中央構造線に沿った高遠―長谷―大鹿の山間地域を中心に、古くから焼き畑によるそば栽培が行われていたとのことです。



その後、特に昭和になって、養蚕の普及や稲作への転換などによって、一時期そば栽培は廃れました。しかし、昭和の終わりから平成の時代になり農家の高齢化・後継者不足が進むと、伊那谷全域において田畑の耕作放棄を食い止めるために地域農家が力を合わせて圃場管理や作物栽培を行う「集落営農方式」に広がり、その一環としてソバの栽培が広がって行きたのです。

伊那谷にキャンパスがある信州大学農学部に故氏原暉雄教授をはじめ多くのソバ研究者が集まっていたこともあり、伊那谷で再び「そば食文化」が花を開くことになったのです。
こだわりの品種―白いソバ
ⓒ伊那市観光協会
手打ちそばを提供するお店の多くが地元産のソバ粉を使っていますが、量に限りがあるために、やむなく他地域産のソバ粉を使う場合もあります。しかし、できる限り伊那谷産、せめて信州産を使うことを目指している店が大半です。

伊那谷産のソバは、水の冷涼さや寒暖差などの好影響もあり、高品質のものが採れると有名です。例えば、伊那谷南部の飯島町は、信州全域で栽培されるソバの種となる「玄(げん)ソバ」を70%も産出しています。まさに「信州そばのふるさと」と言える地域ですが、このことにも象徴されるように、伊那谷産のソバは、総じて品質的には高いと言われています。



主要な品種は「信濃1号」と呼ばれる昭和19年に長野県農業試験所桔梗ケ原分場で育種された品種です。品質の面でも収量の面でも安定的な品種ですので、多くの農家が熱心にこれを栽培しています。この「信濃1」の白い花が咲いたソバ畑は、信州を代表する景観の一つです。
こだわりの品種―赤いソバ
一方、伊那谷には信州大学農学部があり、ここに、故氏原暉雄教授や、その薫陶を受けた多くのソバ研究者が集まってきました。彼らの勢力的な活動により、ソバ栽培に勢いがついたことも確かです。

例えば故氏原教授が育種した、赤い花が咲く「高嶺ルビー」と名付けられた「赤ソバ」は、箕輪町、宮田村。駒ヶ根市。中川村など上伊那各地で栽培され、赤い花畑のみごとな景観で多くの人々を喜ばせています。この「赤ソバ」は「そば」にして食べると、一般のそばに比べて味と香りが強く、野性味があり、モチモチとした食感です。箕輪町の上古田・赤そばの里のお祭りにいくと味わうことができます。



この他にも、南アルプスの西側、中央構造線に沿って伊那市長谷から高遠に連なるかつて「入野谷」と呼ばれた地域で、近年、研究機関に保存されていたわずかの種を使って在来種「入野谷在来」を復活させるプロジェクトが始まっています。これは白い花のソバですが、信州大学と連携して進んでいるそばプロジェクトという意味では、「赤ソバ」とつながるものです。

この「入野谷そば」は、高遠地域のそば店で季節限定で提供されていますが、これもまだ数に限りがあるため、食べようと思ったら、時期を狙い、出来れば、そば店さんに電話などで確認して出かけることが肝心です。