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高遠に残る江島囲み屋敷
高遠に残る江島囲み屋敷
伊那市高遠町の高遠城下には、高遠歴史博物館に隣接する形で「江島囲み屋敷」があります。
江戸時代に起こった、世に言う「江島事件」の江島が、大奥から流されたのがここ高遠の地であり、この囲み屋敷は、昭和42年に、当時の資料をもとに復元されたものです。
江島事件とは
大奥最大のスキャンダルとも言われている江島事件とはどんな事件なのでしょうか?それは、正徳4(1714)年、将軍の生母、月光院に使える女中の筆頭だった江島が、主人の名代として前将軍の墓参りに出かけた帰路、芝居見物をして、門限に遅れてしまったことに端を発します。これがきっかけとなり、江島をはじめ、芝居見物に同行した女中や親せき、芝居関係者が取り調べを受け、最終的に、大奥の風紀を乱したとして、70名以上が処罰(死罪含む)されたと言われています。
この時江島は、当時の人気役者生島新五郎との密会を強く疑われており、結果的に江島は高遠の地に遠流、生島も遠島の処罰を受けることとなったのです。
作られた「江島生島物語」
この事件は、江戸時代から、2人の悲恋の物語として歌舞伎や浄瑠璃の題目になるなど、当時の人々の注目を集め、今に至るまで多くのドラマや映画などで作品化されています。大奥で起こったこのスキャンダルは、今でも多くの人々を惹き付けてやみません。
ところが……近年の研究では、江島と生島、二人の間には幕府から疑われるような関係はなかったと考えられているといいます。当時の大奥の主導権争いに巻き込まれたという説や、逼迫した財政を立て直すために利用されたとの説もあるが、どちらにせよ、2人が情を通じていたというのは幕府によってでっちあげられたストーリーに過ぎないというのです。
高遠で過ごした26年間
復元された江島囲み屋敷から、当時の江島の暮らしぶりを伺いみることができます。与えられたのは小さな八畳一間のみで、屋敷を囲む塀には忍び返しが付けられています。屋敷の外に出ることも許されず、大奥の情報を外に漏らされないようにと、紙と筆も与えられないまま、この地で26年を過ごした江島。享年61歳でした。
多くの人から誤解を受けたまま罪人としてその生涯を閉じた江島は、ここ高遠の地で何を思い日々を過ごしていたのでしょうか――。
高遠には、この囲み屋敷のほか、江島の墓が建てられた蓮華寺や、分骨の墓がある遠照寺、最初に彼女が滞在したとされる非持の地にも公園が建てられるなど、江島ゆかりの地が多数あり、300年の昔にこの地に流された一人の女性の生涯に思いを寄せることができます。
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