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世界に誇る昆虫食! 「ざざ虫」は天竜川が育んだ「おいしい」食文化
伊那谷は昆虫食の宝庫。他の記事でも紹介した、イナゴ、蜂の子など、その食文化が未だ色濃く残り、それに伴う産業や伝統が息づいています。その中でも、伊那谷にのみ残る昆虫食文化が「ざざ虫」です。ざざ虫とは、トビケラ、カワゲラ、ヘビトンボなど、川の瀬に生息する川虫のうち「食用」にする幼虫の総称です。

ざざ虫採りが行われているのは、伊那谷を流れる一級河川「天竜川」。かつて「あばれ天竜」と呼ばれた天竜川のザアザアと流れる川の音から、「ざざ虫」と呼ばれるようになったといわれています。

ざざ虫採りのことを地元では「虫踏み」と呼んでいます。現在は、伊那谷の中でも伊那市、駒ヶ根市、箕輪町、辰野町でのみ行われています。採取方法も独特で、川底の石を足でがりがりとかきながら「四つ手網」と呼ばれる網に追い込み、捕えます。足で川底を踏みつけているように見えることから、いつからか「虫踏み」と呼ばれるようになったそうです。

ざざ虫は誰でも採れる訳ではありません。天竜川漁業協同組合が発行する「虫踏許可証」を持つ漁師のみが、採ることを認められています。漁が行われるのは、12月下旬から2月下旬まで。冬に漁期が限定されている理由は、大きさと味。ざざ虫が最も大きくなるのは、さなぎになる直前です。また、水温が下がることで、ざざ虫たちが餌である藻を食べなくなるため、青臭さがなくなるのだそうです。

世界的にみても珍しい「ざざ虫」という食文化。なぜ伊那谷でのみ残り、今なお続いているのでしょうか。その理由を紐解くと、「山国だからたんぱく源が限られていた」というだけでは語りつくせない、天竜川と伊那谷の人々との深い関わり合いが見えてきます。

その歴史と文化を知るため、1月の天竜川で虫踏みを行っているざざ虫漁師、中村昭彦さんの元を訪ねました。
【インタビュー】 ざざ虫がひとつの「産業」に。生活に欠かせなかった天竜川の恵み
(虫踏みが行われている天竜川の川べりで)
編集部:「虫踏み」の最中、ご協力頂いてすみません。

中村昭彦さん(以下中村):いえいえ。
ベテラン漁師の中村昭彦さん。漁を中断して取材に対応してくれた
編集部:早速ですが、ざざ虫とは具体的にどんな虫のことを指すのか、教えてください。

中村:トビケラとかカワゲラとか、川の虫のことを「ざざ虫」って呼んでるね。最近は、トビケラとヘビトンボの幼虫がほとんど。カワゲラはあまり採れなくなったな。ヘビトンボの幼虫は、この辺りでは「マゴタ」とか「孫太郎」って呼んでるね。

虫自体は全国的にいて特別なものじゃないけど、今はこの伊那谷界隈でしか食用にはされないよ。だけど、以前は長野県のあちこちで食べられていたみたいだね。
中村さん手作りの説明表。カワゲラは少なくなったそうだ
編集部:そうみたいですね。私も文献を読んでいたら、かつては伊那谷だけの食文化ではなかったことを知り驚きました。ざざ虫研究をされている牧田豊さんの著書『伊那の冬の風物詩 ざざ虫』を読むと、戦時中位までは、犀川や千曲川など大きな河川がある地域の一部で食べられていた食文化があったようですね。
それなのに今、この文化が残るのは伊那谷だけです。なぜ、伊那谷でのみ残ったのでしょうか。

中村:一般的に、長野県は山国で、動物性たんぱく質が限られていたから昆虫食文化が盛んになったといわれています。高い山々に囲まれた伊那谷は特に、たんぱく源の確保が大変だったと思う。ただ、伊那谷にこの文化が残った一番の要因は、ざざ虫を買い取り、おいしく加工し、販売してくれる川魚屋があったから。つい数十年前まではもっと採る人も多くて、農閑期の産業のひとつとして重宝されていたんだよ。
虫踏みの様子。手前にあるのがざざ虫を選別する「選別器」で奥が「四つ手網」。鍬で石をひっくり返したり、足でかいたりしながら、四つ手網に追い込む
編集部:産業ですか!確かに、現在もざざ虫は伊那谷の特産品で、創業70年を超える老舗「伊那の幸 塚原信州珍味(つかはら)」(伊那市)さんなどが、おいしく加工して販売してくれていますよね。そういえば、牧田さんの著書(伊那の冬の風物詩ざざ虫)に、〝「かねまん」(※1)がざざ虫を土産物として売り始めたのが、戦後間もない昭和28~29年である〟との記述がありました。他の地域では食べられなくなってきた頃に、伊那谷では「産業としてのざざ虫」が定着していたんですね。
(※1)伊那市で最も早く昆虫食を商品化した商店。大正3年(1914)には蜂の子の販売を始めている。2011年に閉業。

中村:そうだね。今、虫踏許可証を買う人も10人程度だけど、40年程前までは、70~80人位の漁師がいて、農閑期のいい副収入になっていたみたい。年によって違うけど、多い人で1シーズンに100~200キロくらい採れた時もあって、その時は100万位売上げた人もいたみたいだよ。
採れたざざ虫。マゴタとトビケラ
編集部:それはすごいですね!
地域の人に愛された、ざざ虫の「おいしさ」
中村:産業になる以前は、伊那谷の中でも天竜川沿いに住む人たちの食文化だったみたいだね。山沿いの地域の人たちは、あまり食べていなかったと思う。
今は、天竜川の堰堤(えんてい)もきれいに整備されているけど、護岸工事がされていなかった時代は、もっと蛇行して、水がたまるような場所もあって、ざざ虫が生息しやすい環境もたくさんあったんじゃないかな。多分、食料として採っていた頃は、四つ手網を使う人はあまりいなくて、川べりで石をひっくり返して、その日食べる分をつまんで採ってたんじゃないかね。天竜川沿いに住む人にとっては、ざざ虫は高級珍味なんかじゃなくて、冬場の食料として身近な存在で、各家庭の味があったからね。

編集部:ざざ虫は、食料の少ない冬場に不可欠な「旬の味」だったのでしょうね。
やはり、いくら珍しいものだったとしても、地域の人に愛されていなければ産業にはならないように思います。だから、―伊那谷の人がざざ虫を食べたのは、貧しく、たんぱく源が乏しかったから―、という理由だけではないように思っていて……。

中村:そう。たんぱく源が少なかったという理由はもちろんあると思うけど、やっぱり、「おいしかったから」食べ続けられていたんだと思う。私も、酒の肴はもちろん、子ども達なんかは、ふりかけのようにご飯にかけて食べたりもしてたね。

編集部:おいしかったからこそ、「これを売り出そう」と思ったのかもしれないですよね。香ばしくて、小エビのような風味もあって、若干の泥臭さもうま味の一部というか。ふりかけのようにご飯にかけるなんて贅沢な気がしてなかなかできないですが、今度私もやってみます。
中村:水が合っているのか、「天竜川で採れたざざ虫が一番うまい」なんて言われています。私はほかで採れたざざ虫を食べたことないから、比べようがないんだけど(笑)。

編集部:そうですよね(笑)。
昔から、天竜川はざざ虫だけでなく、川魚などの食料や水資源を得るために、重要な場所だったのだと思います。伊那谷には、その恵みを採る人がいて、食べる人がいて、売る人がいた。お話を聞いていると、生活様式が大きく変化しようとしていた時代にも、そんなサイクルがこの地域に根付いていたから、時代の波にのまれることなく、ざざ虫が産業として定着し、食文化としても残ったのだと感じます。伊那谷の歴史と地形、人があってこそ、成し得たことなのかもしれないですね。
昆虫食ブーム到来? 文化の背景を知って「ざざ虫」を楽しんで欲しい
編集部:それにしても「虫踏み」という言葉、風流ですよね。何度聞いてもいい響きです。中村さんが漁を始めたのはいつ頃のことなんですか?
中村:風流だよね(笑)。私が始めたのは40年くらい前。その頃はまだサラリーマンだったから、始めは土日に楽しむ程度でした。

編集部:そうだったんですね。虫踏みの一番の魅力は何ですか?

中村:天竜川眺めながら漁をしていると、いい景色だなぁとしみじみ思う。それからやっぱり、人に食べてもらって、喜んでもらえることがうれしいね。やりがいにつながる。最近は昆虫食ブームもあって、女の子にも昆虫食が人気なんだよ。

あと、何よりざざ虫は「おいしい」からね。

編集部:最近、昆虫食が注目されていますよね。だからこそ「おいしい」はざざ虫文化を支える原動力ですね。ぜひ多くの人に食べてもらいたいです。
ただ、最近は気候変動などもあって、天竜川の環境も変わってきているのではないでしょうか。漁獲量に変化はないですか。

中村:最近は気候が極端でしょう。50年に一度、100年に一度と言われるような雨が降る。護岸工事されていることもあって蛇行も少ないから、大水が出ると川底の石も一気に流れ出てしまって、ざざ虫も死んでしまうんだよ。天竜川が荒れる年は漁獲量も激減するよ。
川底の石をひっくり返すとざざ虫の巣が分かる
編集部:気候変動の影響も少なからず受けているのですね。

中村:東京オリンピックが開催された頃は、源流の諏訪湖がかなり汚れていて、天竜川が藻で緑色に染まったこともあった。それに比べたら大分、天竜川もきれいになったと思う。この天竜川の景色と自然環境を守っていくことが、ざざ虫の文化を守っていくことにもつながると思っています。

編集部:最近では、観光客の方向けに「虫踏み(ざざ虫漁)体験」(※2)も始まりました。参加したいという方に、持っていて欲しい心構えなどがあれば、教えてください。

中村:ざざ虫は、昔からこの伊那谷に伝わる食文化。その背景を大切にしながら、体験し、味わってもらいたいですね。漁師も70代以上の人ばかり。決して難しいものじゃないし、体験をきっかけに、大勢の人が漁に参加してもらえたらうれしいね。採れたての味を、多くの人に味わって欲しいから。

編集部:採れたては漁師さんしか味わえないですもんね。私もこの食文化が、これから先もずっと、この伊那谷で続くことを願っています。中村さん、貴重なお話ありがとうございました。
取材を終えると早速漁に戻った中村さん。穏やかな天竜川の流れが目に染みるようでした
(※2)本格的な漁をする場合は天竜川漁業協同組合の組合員となり、「虫踏み許可証」(1シーズン15,000円)の発行を受ける必要があります。

(参考文献:牧田豊著『伊那の冬の風物詩 ざざ虫』/天竜川上流工事事務所調査課/平成11年3月19日)

◎問い合わせ
天竜川漁業協同組合
〒396-0014 長野県伊那市狐島4445
TEL.0265-72-2445
FAX.0265-72-0005