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窓の外に広がる多彩な景色 南アルプス林道バス
南アルプス林道バス(伊那市運営)は、伊那市長谷の「戸台口」から、仙丈ヶ岳や東駒ヶ岳(甲斐駒ヶ岳)の登山口である「北沢峠」までを結んでいます。このバスを利用して、毎年多くの登山者が南アルプスを訪れています。

そんな南アルプス林道バスの運転手を20年にわたって務める伊藤卓郎さん(63歳)に、南アルプス林道バスの魅力や、運転手としてのお仕事についてインタビューしました。
【南アルプス林道】…長野県伊那市長谷戸台から山梨県南アルプス市広河原にかけて赤石山脈を横断する林道。通年マイカー規制が敷かれており、積雪期は全線通行止めでバス運行はしていない。長野県側からは、年間約4万9千人がこの林道バスを利用している。
バスの運行に欠かせない冬場の林道整備
編集部:伊藤さんは、いつから運転手として働かれているんですか?

伊藤さん:平成13年から正式に職員として働いているから、ちょうど20年ほど経つね。その頃、林道バスの運転手が、高齢化してきているからと頼まれたのがきっかけだったな。「長谷の役に立てたらいいな」と思って働くことを決めたんだよ。60歳で定年退職してからは、バス運行の時期だけ働いてるよ。

編集部:職員の皆さんは、バスが運行していない冬季はどんなお仕事をされているんですか?

伊藤さん:冬場は林道整備。この仕事があっての南アルプス林道だよ。

編集部:整備というと、具体的には何をされるんですか?

伊藤さん:林道の法面(のりめん)の整備や、危険木の除去、他にも林道がデコボコしていたら舗装をはいで修復する作業なんかもしてるよ。

編集部:はー!そんなに幅広い作業を運転手の皆さんが担っているんですね。バスの運転だけでなく、半分は環境整備のお仕事なんですね。

伊藤さん:そうだよ。運転手だけしてると思ったらとんでもない!
林道整備1。写真提供:伊藤さん
林道整備2。写真提供:伊藤さん
車窓から楽しむ四季折々の景色
編集部: 今年(令和2年)は新型コロナウイルスの影響でバスが運休となってしまいましたが、例年だったらバスの運行が始まるのは4月下旬からですよね。私も何度かバスを利用したことがあるのですが、山の様子や植物について解説してくれる車内のアナウンスがとても印象的でした。
季節ごとにどんな景色が見えるのか教えてもらえますか?

伊藤さん:まず春、運行が始まった4月くらいの時期は芽吹きの季節で新緑がとにかく美しい。木の幹には、動物が皮を剥いだ痕も残っているから、「これはクマの爪痕だよ」なんて教えてやると喜ばれるよ。
途中で鹿に会ったりすると「かわいい!」なんていうお客さんもいるけど、この地域に住む者からすると「かわいいはずがあるかあんなの!」と思ってしまうよ。

編集部:鹿による高山植物等の食害は深刻ですもんね……。

伊藤さん:そうだよ。鳥獣対策には地元も苦労してるんだ。そういったことも含めてこの地域を少しでも知ってもらえたらと思うよ。
クマやニホンジカ、カモシカやニホンザルなど様々な野生動物が生息する。写真はカモシカ。写真提供:伊藤さん
伊藤さん:次に6月くらいになると、高山植物がたくさん咲き始めるから、バスから見える範囲で花の名前を言うと、みんなとても喜ぶよ。石灰岩を好む「シナノコザクラ」、食虫植物の「ムシトリスミレ」。あと、「ヤマハハコ」とよく似た、「トダイハハコ」ってのがあって。一見よく似てるけど、「トダイハハコ」の方が葉っぱが丸くて肉厚なんだ。そういうことを教えてやると、「本当だ」と言って喜んでくれるね。
他にも、薄白ピンクの花がきれいな「ハクサンシャクナゲ」なんかもそりゃあもう見事だよ。
ハクサンシャクナゲ 写真提供:伊藤さん
シナノコザクラ 写真提供:伊藤さん
トダイハハコ 写真提供:伊藤さん
編集部:毎日同じ道を運転していても、見える景色が全然違うんですね。

伊藤さん:そう。中には、山に登らずに「歌宿(うたじゅく:北沢峠より1つ手前の停留所)」で降りて、林道を歩いてお花や景色を楽しむ人もいるくらい。

編集部:登山者のためだけのバスではないんですね。山に登るのは自信がないという人でも楽しめそうですね。

伊藤さん:そういう人たちには「なんか面白いもん見えたかい?」なんて話しかけると、楽しそうに、見つけたものの話をたくさんしてくれるんだよ。

編集部:それを今度は伊藤さんがバスでアナウンスして多くの人に教えてあげるんですね。

伊藤さん:そうそう。
あと、この季節は、花だけじゃなく、きれいな蝶も多いんだ。アサギマダラなんか、佃煮にするほどいるよ。蜜を吸ってお腹いっぱいになった彼らの飛び方の、そりゃあもうかわいいこと!
アサギマダラ。水色のはねがきれいな大型の蝶。標高の高い地域に多く見られ、1000km以上も移動することで知られている
編集部:どんな飛び方なんですか?

伊藤さん:「余は満足じゃ」とでもいうように、ゆったーりと飛ぶんだよ。

編集部:面白いですね、今度から飛び方にも注目して見てみます!

伊藤さん:ほかにも、クジャク蝶、ヒョウモン蝶、クモマツキ蝶なんかもいるよ。

編集部:植物図鑑だけじゃなく昆虫図鑑を持っていくのもいいですね。

伊藤さん:困るのは雨降りの日だね。なんにも見えないから「ここにあると思いこんで見てください」なんて言って、いつも見える景色を解説するんだよ。

編集部:こればっかりはどうしようもないですもんね。

伊藤さん:ただね、秋の紅葉の季節になると、雨の日の景色がそりゃあ美しいんだよ。紅葉を見るには雨降りが一番。全部の色が鮮やかにのるんだ。これをステキと言うんです!

編集部:登山者にとってうれしくない雨も、紅葉を見るにはぴったりだと。

伊藤さん:「今までで今日が一番キレイですよ」なんて言って、これでもかってくらい褒めるんだよ。

編集部:あはは、伊藤さんのバス、乗ってみたいですね。マニュアルとかがあるわけでなく、みんなそんなふうに自由におしゃべりしてるんですか?

伊藤さん:一応こんなこと喋ってねっていう基本事項みたいなものはあるけど、いろんな運転手がいて、自分の好きなことをしゃべってるよ。

編集部:鋸岳(のこぎりだけ)に見える、「鹿の窓」の解説は、毎回聞く気がします。
鹿の窓 写真提供:伊藤さん
伊藤さん:鋸岳の第1高点南側に見える谷が、岩の穴が窓みたいに見えるんだよね。いい名前つけたもんだよ。そこにも、5回ばかし(くらい)行ってるなあ。

編集部:山にも登られるんですか?それは趣味でですか?

伊藤さん:趣味ってよりも、登山道の様子を見とかなきゃ、人から聞かれた時に説明できないなと思って、この仕事に就いてから登るようになったんだよ。道具を持って行って登山道を整備したりもするよ。

編集部:それはお仕事ではなく個人的に?

伊藤さん:ボランティアだね。そんなことやるのは俺と、もう一人くらいだけどね。

編集部:登山道を利用する登山者の一人として、心から感謝します。

伊藤さん:せっかくこんな山の中までみんな来てくれるからね、楽しんでいってもらいたいなと思ってるよ。だから「また来ます」って言ってもらえるとほんとにうれしいんだ。

編集部:伊藤さんのお話をお聞きして、私もまたバスに乗って山に行きたくなりました。
先人達が苦労して守ってきた南アルプス林道
伊藤さん:林道の整備も案内も、代々の先輩方の努力あってのもの。苦労して守ってきてくれたことを考えると、これからも守っていきたいなと思ってるよ。開通当初は未舗装道路の運転だったから、運行中にパンクすることもザラ。そりゃもう苦労してきたんだもの。

編集部:登山者も、感謝して利用しなくちゃですね。伊藤さん、ありがとうございました!
南アルプス林道バスの運転手 伊藤卓郎さん