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奇祭 神明神社のお舟祭り(天狗祭り)
辰野町北大出(きたおおいで)の神明神社では、この地にまつわる神話の世界を再現した「お舟祭り(天狗祭り)」という神事が行われています。
年に一度、10月第3日曜に行われる神明神社の例祭で、青竹で飾られた「お舟」から3匹の天狗がとび出し、奇声をあげながら境内を暴れまわることから、奇祭として知られています。

地区内にある辰野南小学校の太鼓や、地元青年会「明進会(めいしんかい)」による笠踊りも披露され、大勢の観衆、カメラマンで賑わいます。
この迫力の祭りを観に、皆さんも出かけてみてはいかがでしょうか?
平安を願って…天狗は踊り、獅子は舞う
例祭のハイライトである「お舟祭り」は、笹のついた青竹で作られた「お舟」が、お揃いの法被を着た男衆に担がれて、笠鉾(かさぼこ)の先導で神社に入ってくるところから始まります。太鼓の音と勇ましい掛け声が鳴り響く中、お舟が神社の舞台前の広場で左に3回半、右に半回転して止まると、お舟から4頭の獅子が現れます。

しばらくして、太鼓の音が大きくなり、お舟が小刻みに揺れだしたかと思うと、突然、天狗がお舟からとび出します。獅子はいっせいに天狗に襲いかかるような仕草を見せ、天狗はよろめくような足取りで「ホー!ホー!」と奇声をあげながら、境内から裏山までを裸足で駆けめぐります。
時折、群衆の中の子どもをお舟に連れ込んだりします。天狗の不気味な形相に、怖がって泣いてしまう子どもも……。
写真提供:辰野町
天狗は、さらに神社の舞台からとび降りたり、急な坂から転げ落ちたりしながら暴れまわり、本殿を参拝。境内を縦横無尽にとびまわったのち、獅子の待つお舟に戻ります。
続いて、二番天狗、三番天狗の順に現れますが、あとにいくにつれ気性が荒く、動きも激しくなってきます。天狗は裸足ですが、不思議と怪我をしないと言われています。

三番天狗がお舟に戻ると、今度は獅子がお舟からとび出して、群衆の人々に噛みついて回ります。この時、獅子に頭を噛んでもらうと身体が丈夫になり、無病息災で幸福になれると伝えられています。
泣いている我が子を抱きかかえて獅子のところに連れていく親や、自ら獅子に頭を差し出す子どもの姿も見られ、この様子は祭りの恒例ともなっています。
写真提供:辰野町
神明神社に伝わる神話を現す
写真提供:辰野町
この祭りは、「国譲りの和議のひとこま」とか「悪魔払いの儀式」などと言われています。この地に伝わる神話を再現する祭りなのだそうです。
言い伝えでは、大昔、獅子が舟に乗ってこの地に来て、上陸しようと天狗に相談を持ちかけました。それを受けて天狗は、土地の神々を参拝し、住民とも相談した上で、その結果を獅子に伝えましたが、協議は難航しました。天狗は再度神々を参拝、住民と相談…これを3度繰り返し、三番天狗でようやく話しがまとまりました。獅子は上陸し、めでたく話がまとまったことを住民に告げながら踊りまわりました。その時、獅子が住民に噛みついたことによって、無病息災・悪魔払い・雨乞いなどの祈願が叶えられたとのこと。このような神話を伝えるのがお舟祭りなのだそうです。
起源は長治元年(1104年)にさかのぼる
起源は文献や記録が残っておらず明確にはわかっていませんが、上伊那文化大事典によると「長治元年(1104年)神社の再建時から毎年例祭に船、傘鉾を奉献の事あり」と伝えられています。
また、天狗の面の裏にかすかに文久3年(1863年)修繕と書かれていることから、これ以前に神事が行われていたことは確かなようです。

現在この神事は、北大出区内の小路(こうじ:区内の集落の呼び方)の廻り番で、若者たちが中心になって執り行われており、無病息災幸福の祈願とともに伝承されています。
地域の先輩から後輩へと伝承
祭りで、天狗役を演じたことのある地域の方にお話を伺うことができました。
北大出地区に暮らす野澤さん(65歳)は自身が20代半ばのころに天狗役を経験。野澤さんの息子さん(35歳)も20代の頃に天狗役を演じました。

「お舟祭りは、町の無形民族文化財にも登録されているけど、形がないものだから経験者が若い人に天狗の演じ方などを教えてきた。今は、ビデオや写真を見ながら教えられるけど、昔は口伝えするしかなかったんだよね。地域の先輩から後輩へ、大事に伝えられてきたお祭りだよ」と野澤さん。息子さんが天狗を演じた時には、「昔から続く地元のお祭りなので、息子も1回は経験すればいいなと思っていた」と父親としての表情も覗かせてくれました。

息子さんにも話を聞くと、「子どもの頃は天狗がものすごく怖かったイメージ。小学生くらいの男の子たちは、捕まえられるのが怖くて逃げるんだけど、高学年くらいになると、天狗にちょっかいを出して追いかけられたりしたね。自分が天狗役をやった時は、今度は子どもたちを楽しませようって気持ちに変わりました」と笑顔で振り返ります。

お二人のお話から、この祭りが地域全体で、世代を超えて大切に受け継がれてきたことが伝わってきます。

祭りの前には、地域の神社委員や担当小路などによって、境内の枝や切り株など危険なものが取り除かれ、入念な整備が行われるとのこと。天狗が裸足で境内を暴れまわっても怪我をしないのは、そうした地域の支えがあってこそなのだとか。
当日の神社内の飾り付けも、毎年担当小路ごとに違う絵や文字が描かれ、祭りの参加者としても「今年はこんな風にしたんだな」と楽しみにしているそうです。
町の無形民俗文化財登録
神明神社舞台
お舟祭りは、昭和49年6月16日に町の無形民俗文化財に指定。昭和51年9月1日には、境内の「神明神社舞台」(明治4年建築)が町の有形文化財に指定されました。辰野町内には、神社境内に芝居小屋などがあった村が多く、江戸時代後期から明治にかけては歌舞伎芝居や人形芝居が盛んに行われており、中でも、北大出地区にはそうした伝統が強く、こうした大きく立派な舞台の建築が造られたのだそうです。
芝宮社本殿
また、境内「芝宮社本殿」は、平成5年3月16日に町の有形文化財に指定されており、希少な見世棚造形式(前面に供物を供える板張りの棚を設けたもの)建築が観られる場所として、見どころのひとつとなっています。

伊那谷に息づく伝統と、地域の絆を肌で感じられるお舟祭り。ぜひ多くの方に、伊那谷の祭りの魅力を生で味わっていただきたいと思います。
参考文献:辰野町の指定文化財(発行:辰野町教育委員会)、上伊那誌、上伊那文化大辞典
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