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「稀代の名工」守屋貞治~伊那谷の貞治仏を訪ねて~
高遠石工の中でも「稀代の名工」と呼ばれた守屋貞治(もりやさだじ)。彼が残した貴重な作品が、伊那谷には多く存在します。貞治が、自身の刻んだ石仏について書き記した書「石佛菩薩細工」の中から、旅の途中に立ち寄れる巡礼スポットをご紹介!

旅のルートに「貞治仏巡礼」を組み込んでみてはいかがでしょうか?
案内してくれるのは、一般社団法人 高遠石工研究センター事務局長の熊谷友幸(くまがい・ともゆき)さんです。高遠石工の調査・研究をするかたわら、年々風化してしまう石仏を、美しい写真と映像で記録、アーカイブ化し、未来へとつなげる活動をしています。また近年は、高遠石工のツアーやイベントのガイドとしても活躍されています。

石仏は、ただひとつ眺めてもなかなか理解は深まらないものですが、詳しい方から仏像の意味や背景などを教えていただくと、巡礼がもっと楽しめますよ。
「動かぬ守護者」勝間の大聖不動明王
(伊那市高遠町勝間)
高遠町勝間の常盤橋のたもとで三峰川を見つめるのは、貞治の最高傑作のひとつ「大聖不動明王」です。高遠を流れる三峰川や藤沢川などは、江戸時代たびたび洪水をおこしました。その氾濫を鎮めるため、当時の勝間村の人たちの願いによって立てられたのがこの石仏です。全長1.5メートル、大火焔(だいかえん)を背に右手で剣を構え、左手に羂索(けんさく)を持った独特の存在感を放つ座像です。
大聖不動明王
巡礼ポイント
★辮髪(べんぱつ)のおさげと渦巻型の髪
★後背に描かれた火焔の彫刻
★全てを見通す天地眼

熊谷さん解説
「高遠石工の作品の中で、人気投票No.1に選ばれたこともあるこの作品。憤怒の形相をしているわりに、辮髪のおさげと渦巻型の髪が、何か少し女性的な風情も感じさせます。よく観察すると左目が下を、右目が斜め上の方を向いた天地眼で彫られています。これは『全部お見通しですよ、全ての願いを受け止めますよ』という意味もあるのですが、瞳まで彫られたものは珍しく、不思議な雰囲気を漂わせています。

伊那谷を流れる天竜川は、江戸時代の270年間に90回も氾濫しました。支流である三峰川も同様、人々を苦しめたことでしょう。貞治が、願主の思いを受け止め、石の聖なる力になにかを託したような、そういう力を感じさせます。高遠石工の作品の中でも、多くの人の記憶に残る傑作中の傑作です」
建福寺の西国三十三所観世音菩薩
(伊那市高遠町西高遠)
建福寺(伊那市高遠町)
伊那市高遠町西高遠にある臨済宗妙心寺派の寺院建福寺。

本堂へと続く階段の両側および境内には、高遠石工によって彫られた多数の石仏が安置されています。そのうち40体あまりが貞治作。西国三十三所観世音菩薩、延命地蔵大菩薩、願王地蔵など、これほどたくさんの貞治仏が一度に見られる寺は伊那谷ではほかになく、巡礼に外せないスポットとなっています。
巡礼ポイント
★貞治の西国三十三所観世音菩薩
★高遠の青石に彫られた繊細な彫像
★空間認識に優れた写実的な表現。日本人好みのお顔
★ひとつとして同じものがない三十三体の中で、自分の好きな石仏を見つけよう

熊谷さん解説
「西国三十三所観世音菩薩は、文化年代に貞治が5年をかけて手がけた大作です。石工として体力気力が充実した研鑽期のもので、三十三体どれひとつ手を抜いておらずいろんなパターンがあります。特に、日本人好みのお顔や髪の毛の繊細な表現、衣、手、持物(じもつ)の写実的な作りを見てください。蓮華座より上は、高遠の青石に彫られており、風化が遅く細かい彫像のきく青石を見つけた貞治の喜びが満ちている気がします。

貞治は、空間認識能力に長けた石工。どれを見ても均整のとれた美しい出来栄えです。石仏好きじゃなくても、明日に一歩踏み出せるようなインスピレーションを感じさせてくれるアートといっても過言ではありません。三十三体の中で、自分の一番癒されるお顔を見つけるのも楽しいですよ」
桂泉院の延命地蔵菩薩・准胝観世音菩薩
(伊那市高遠町東高遠)
桂泉院本堂へと続く参道
高遠城跡からほど近く、見晴らしの良い高台に位置する桂泉院(けいせんいん)。本堂へと続く参道の両脇に鎮座するのは、「准胝(じゅんてい)観世音菩薩」と「延命地蔵菩薩」です。桂泉院は臨済宗のお寺で、元は法幢院と言って高遠城内にありましたが、1600年に今の場所に移り、名称を龍沢山桂泉院と改めました。
准胝観世音菩薩
巡礼ポイント
★貞治円熟期の名作「延命地蔵菩薩」
★女性の願いをかなえてくれる「准胝観世音菩薩」
★台座に刻まれた願王和尚の讃

熊谷さん解説
「桂泉院は、お花見の混雑した時期に行っても静かに名作に触れ合える名刹です。准胝観世音は仏の母ともされ、子宝や縁結び、心の清浄など女性の願いをかなえてくれる観音様としても知られています。台座には、心の師と仰いだ願王和尚の讃が刻まれています。全体に風化して丸みを帯びていますが、それがかえって柔和な雰囲気を醸していて、私も好きな石仏のひとつです。

特に光を浴びる夕方に観にいくのがおすすめ。石仏には一番いいお顔に写るアングルや時間帯があるので、それを探すことも楽しみの一つですよ。

本堂裏の墓地には、信玄の父信虎公の墓と貞治の聖観音地蔵菩薩、渋谷藤兵衛の延命地蔵菩薩もあります。訪れた際には、ぜひ足を伸ばしてみてください」
延命地蔵菩薩
光前寺の三陀羅尼塔、阿弥陀如来、佉陀羅山地蔵菩薩、賽ノ河原地蔵尊
紅葉の美しい光前寺の境内
駒ヶ根インターから車で2分。駒ヶ岳の麓に位置する光前寺は、早太郎伝説でも知られる天台宗の古刹です。境内には、高遠石工による数々の作品のほか、貞治の「佉陀羅山(きゃらだせん)地蔵菩薩」「阿弥陀如来」「賽ノ河原(さいのかわら)地蔵尊」「三陀羅尼塔(さんだらにとう)」を拝むことができます。

春には境内に植えられた70本もの枝垂れ桜を見物しようと多くの観光客で賑わう光前寺。美しく神秘的な光を放つヒカリゴケや、紅葉の名所として、四季折々の巡礼が楽しめる場所です。
三陀羅尼塔
賽ノ河原地蔵尊
巡礼ポイント
★貞治唯一の棟「三陀羅尼塔」
★古刹に点在する作品をゆっくり観て歩こう
★住職の墓「阿弥陀如来」。墓地への立ち入りは許可を得てから

熊谷さん解説
「本堂横の三陀羅尼塔が最大の見物でしょう。高さ約4メートル。文化元年(1804年)の作で、貞治が刻んだ唯一の塔と言われています。三重の方形基盤に反花、方座と重ね、その上の蓮華座に高く三層積み、さらに請花、九輪、宝珠と積み上げ、四方には四天王が立ちます。バランスのとれた素晴らしいもので、気品を感じますね。

本堂でお香が焚かれている時は、森の中をゆっくり動く気流で煙が漂いなんとも言えない雰囲気に。古刹に点在する貞治仏をゆっくり観てまわるのがおすすめです」
阿弥陀如来 写真提供:高遠石工研究センター 熊谷友幸氏
佉陀羅山地蔵菩薩
法界寺の佉羅陀山地蔵菩薩
(箕輪町木下)
法界寺
箕輪町木下の住宅街に、ひっそりと佇む浄土宗の寺院、法界寺には、貞治円熟期の作「佉羅陀山地蔵菩薩」があります。昭和53年に箕輪町指定有形文化財にも登録されました。

法界寺は、現在の南箕輪村久保にある西念寺が前身であり、寛永16年(1639年)に時の飯田城主脇坂淡路守の知行地であった木下村の陣屋に勤めていた家臣達の関わりで、もともとあった御堂「法界堂」と合寺して「法界寺」になったといわれています。安政7年(1860年)、火災により本堂、庫裡、庚申堂など境内の建物の多くを焼失してしまいましたが、大正9年(1920年)に再建されました。
佉羅陀山地蔵菩薩
巡礼ポイント
★貞治仏の中で最も風化が少なく、状態が良い
★基壇には、願主の名前がすべて刻み込まれている
★鑑賞しやすい高さでじっくり観察できる

熊谷さん解説
「このお地蔵様は貞治が亡くなる3年前、文政12年(1829年)に建てられたものですが、この時代に作られたものの中で最も風化が少なく、昨日作ったかのように美しい保存状態です。切れ長の目は、一瞬きつい印象を受けますが、よく見るとその中に優しい微笑みが浮かび上がります。爪先まで細かな彫像が施され、基壇には、願主の名前がすべて刻み込まれています。この地蔵堂は、比較的鑑賞しやすい高さにあるので、貞治の彫技をじっくり観察することができますよ」
爪先や蓮華座の表現までじっくり観察できる
長松寺の延命地蔵菩薩
(箕輪町長岡)
長松寺
法界寺の「佉羅陀山地蔵菩薩」と同様、箕輪町指定有形文化財に登録されている長松寺の「延命地蔵菩薩」。文政10年(1827年)、貞治と弟子の藤兵衛がのべ4ヶ月半(貞治2ヶ月、藤兵衛2ヶ月半)かけて建立しました。この地蔵尊造立に多くの村人が関わったことが、当時世話役を務めた与市、善五衛門が記した古文書「地蔵建立諸入用控帳」の記録から分かっています。伊那谷を見渡せる高台から、今も人々を見守るお地蔵様です。
延命地蔵菩薩
巡礼ポイント
★法界寺のものと見比べるのが面白い
★高遠石工の仕事は「技術公開型」のものづくり

熊谷さん解説
「法界寺の男性的な表現に比べ、長松寺のものは、やや細身で観音様と見まごうほど女性的。箕輪に来たらぜひ、法界寺と長松寺両方見ていただくと面白いと思います。

「地蔵建立諸入用控帳」には、打ち合わせの日や差し入れたもの、お金をいくら払ったかまでがこと細かに記録されています。完成したお祝いに、餅つきなども行われたようです。

高遠石工の仕事は、アトリエにこもって行われるのではなく、作る過程を誰でも見ることができました。その『技術公開型』のものづくりが、次世代に技術を受け継ぐ足がかりとなりました。村人も日毎に進む工事に期待に胸を膨らませ、完成を待ち望んだことでしょう。そんな光景を思い浮かべながら歴史に思いを馳せてみてはいかがでしょうか」
高台から伊那谷を見守る後ろ姿
巡礼スポットを紹介したマップを参考にしたり、ガイドと現地を巡るツアーやイベント・講習会に参加するのもおすすめです。ぜひ、石仏の魅力に触れてみてください。

参考文献:「高遠石工の石仏巡礼ガイド」発行:一般社団法人高遠石工研究センター、「石仏師 守屋貞治」著作:高遠町誌編纂委員会、「高遠石工 石匠列伝 伊那谷に於ける高遠石工の実態を探る」田中清文著