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「石仏の美術館」伊那谷の暮らしに寄り添う作品を巡る1
江戸時代、高遠石工の活動拠点があった伊那谷には、彼らが手掛けた数多くの作品が人々の暮らしに寄り添うようにして大切に安置されています。四季折々の風景に溶け込むようにして佇む姿は、まるで伊那谷全体が「石仏の美術館」のようです。

ここでは、伊那谷の石仏を巡りながら、その意味などを合わせて解説します。予備知識があると、巡礼がさらに楽しくなりますよ。知れば知るほど伊那谷が好きになる、石仏巡礼に出かけましょう!
郷土史・石仏研究家 田中清文さんと巡る伊那谷の石仏
ナビゲーターは、伊那谷における郷土史・石仏研究の第一人者で、一般社団法人高遠石工研究センター理事長の田中清文(たなか・きよふみ)さんです。高遠石工に関する本『高遠石工石匠列伝 伊那谷に於ける高遠石工の実態を探る』『石匠 守屋貞七』の著者でもあります。
まず始めに、田中さんから巡礼のマナーと石仏鑑賞のポイントなどを教えていただきます。
郷土史・石仏研究家の田中清文さん
石仏巡礼のマナー
編集部:まず、石仏を巡礼する際のマナーがあれば教えてください。

田中さん:はい。石仏は、個人墓地や私有地に安置されていることも多いです。そのような場所を巡礼したい場合には、必ず許可を取ってから立ち入りましょう。市町村の観光課などに相談してみるのも良いですね。

編集部:他にはどんなことに気をつけたら良いでしょうか?

田中さん:崖など危険な場所や、舗装されていない不安定な場所に安置されていることもあるので、十分に気をつけてください。また、仏塔や石仏は積み重ねてあるだけなので、寄りかかったりすると、倒れてしまうことも考えられます。怪我にも繋がりますし、貴重な歴史的文化財を傷つけないように気をつけましょう。

編集部:では、鑑賞する時に見て欲しいポイントなどはありますか?

田中さん:う~ん、全部です(笑)。強いて言うならば、まずはお顔。目や口元、耳にも石工の個性が現れます。それから、手にはどんなものを持っているか、どんな形をしているか、どんな衣を纏っているかなどにも注目してみてください。彫られている文字や台座も大事ですね。どんな場所に安置されているかも……やっぱり全部ですね。

編集部:見どころがたくさんあるんですね!

田中さん:そうです。石仏は、1回見ただけではダメ、2回、3回と見ていくうちにようやく気付くことがあります。伊那谷は、季節の移ろいも美しい地域ですので、ぜひ、桜や新緑、紅葉などを楽しみがてら、四季を通じて何度も訪れてみてください。

できれば、案内人がいると良いです。ちょうど良いイベントなどがないか地元の観光協会に問い合わせてみましょう。

編集部:わかりました。ありがとうございます!

今回は、観光でも訪れやすい巡礼地を中心にナビゲートしていただきます。早速現地に出かけましょう。
石仏巡礼その1「小町谷家」
(駒ヶ根市南割羽場下)
巨大な仏塔が並ぶ。中央右が宝篋印塔
駒ヶ根市の旧家小町谷家(こまちやけ)は、名工守屋貞治(もりやさだじ)を生んだ守屋家代々の石工の聖地ともいえる場所。守屋家は、代々石工の家系でしたが、この小町谷家とは代々深い縁があり、それに関連して、伊那谷の南「伊南地区」には多くの作品を残しています。

旧家小町谷家の石仏群は、伊那谷の中でもひときわ異彩を放つ立派な造りで、宝篋印塔(ほうきょういんとう)や地蔵菩薩、供養塔、庚申塔(こうしんとう)などを一度に拝むことができます。
庚申塔など石仏群
田中さん解説
「すごいでしょう?見てもお分かりのように礎石が大きくてきっちり作ってありますね。石の材質も素晴らしくて、痘痕(あばた:くぼみやしみ、色むら)が入っていない良い石を選んでいます。『延命地蔵大菩薩』(延享元年作)は、貞治の祖父・貞七のものと考えていますが、特徴は、上まぶたの膨らみだけで目を表しているところ。さらに、蓮華座の折り返し表現も特有のものです。
伊南地区は、高遠藩の奨励した旅稼ぎの一番近い出張先でもあります。代々この地で地盤を築いた守屋家は、伊南地区にたくさんの石仏を残しているんです」
延命地蔵大菩薩
【宝篋印塔】…宝篋印陀羅尼(ほうきょういんだらに)というお経を納めた供養塔。地域の支配者の墓として伝わるものも多い。笠の部分に隅飾りという突起を持つのが特徴。高遠石工がつくった宝篋印塔にはこの隅飾りが省略されて多宝塔のような形状をしたものもある。

【庚申塔】…中国より伝来した道教に由来する庚申信仰に基づいて建てられた石塔のこと。庚申(かのえ・さる)の年は災いが起こるとし、60年に一度建てられる塔。60日に一度の庚申の夜には、三尸(さんし)という虫が、身体から這い出て天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされ、それを避けるために庚申の日は夜通し眠らないで勤行をしたり宴会をしたりする風習があった。
石仏巡礼その2「田切追引の石仏群」
(飯島町田切)
田切追引の石仏群
鉄道ファンに人気のΩカーブ(※)で知られるJ R飯田線田切駅。ここからすぐ近くの辻に、高遠石工が手掛けた「田切追引の石仏群」があります。守屋家代々の石工が刻んだ青面金剛像(しょうめんこんごうぞう)や馬頭観音(ばとうかんのん)が静かに安置されています。

※Ωカーブとは、急な勾配を越えるため、上から見るとギリシャ文字のΩ(オメガ)状に走る道や線路のこと
飯島町田切のΩカーブ 写真提供:高遠石工研究センター 熊谷友幸氏
田中さん解説
「この青面金剛像は、元文5年に講中を願主として建てられたものです。古いものですが、これだけはっきりわかるのは深く彫ってあるからです。
馬頭観音も素晴らしい出来ですね。これも守屋貞七のものと見ていますが、纏っている『天衣(てんね)』が羽衣風に作られていて大変珍しい。専売特許のようなもので、貞七の作品に見られる特徴です。
野にあるので、もう50年100年経つと風化してなんだかわからなくなってしまいます。今のうちに記録して写真に残しておかないといけませんね」
青面金剛像
馬頭観音
【青面金剛像】…仏教の信仰対象の一つで、庚申信仰の本尊として知られる。後背に陰陽を表す太陽と月、足下に三猿が彫刻されているものが多い。

【馬頭観音】…無病息災、動物救済、厄除け、旅の安全などのご利益があるとされる観音様で観音様の頭部に馬が彫られている。昔は武家や農民にとって馬は生活の一部となっており、馬を供養する仏としても信仰された。
石仏巡礼その3「聖徳寺 六斗名号塔」
(飯島町田切)

田切追引の石仏群から500メートルほどの場所に位置する聖徳寺は、美しい枯山水庭園をもつ浄土宗の寺院です。入り口には、巨大な名号塔(みょうごうとう)が堂々とした姿で出迎えてくれます。

聖徳寺は、元々は「太子堂」といって聖徳太子自作の仏像を安置した仏堂でしたが、江戸時代初期の寛永年間に「太子院 聖徳寺」として創建。正徳5年に中田切の洪水で流出したのを機に、享保2年現在の場所に移転されました。
六斗名号塔
田中さん解説
「六斗名号塔は、南無阿弥陀仏の六文字が深く刻まれた大きな塔です。1文字につき米一斗(10升に相当)入るとされ、この名が付けられました。これがすごいんです!現地に行ったらぜひ触ってみてください。その深さに驚くはずです。表の名号は、京都西光院浄土律の名僧『可円』の書、裏の名号は、京都三条大橋近くの檀王法林寺を興した『良妙』の書です。四面の角がかまぼこ型の礎石も珍しいですね。

高さ約4.7メートル、礎石を含めたら5メートルにもなる巨大な塔。今のように重機のない時代にこんな重量のある石を中田切の川からどうやって持ってきたか?不思議ですよね」
巡礼は次の記事に続く



参考文献:「高遠石工の石仏巡礼ガイド」発行:一般社団法人高遠石工研究センター、「石仏師 守屋貞治」著作:高遠町誌編纂委員会、「高遠石工 石匠列伝 伊那谷に於ける高遠石工の実態を探る」田中清文著
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