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「石仏の美術館」伊那谷の暮らしに寄り添う作品を巡る2
「石仏の美術館」伊那谷の暮らしに寄り添う作品を巡る1に続き、石仏巡礼の旅にご案内します。ナビゲーターは、高遠石工研究の第一人者、田中清文さんです。

巡礼は、ちょっとマニアックな知識も知っているとさらに楽しむことができます。知れば知るほど伊那谷が好きになる、石仏巡礼に出かけましょう!
石仏巡礼その4「関の地蔵堂」
(飯島町田切)
関の地蔵堂
関の地蔵堂は伊南地区の高遠石工の拠点のひとつ。伊那街道の関所跡にある石仏群で飯島町指定文化財にもなっています。美しい石積みに守られた一角に足を踏み入れると、六地蔵(ろくじぞう)、馬頭観音、如意輪観音(にょいりんかんのん)などが安置されています。「関(せき)」の語音から「咳」を治してくれるお地蔵様として、近隣の人々から親しまれたそうです。

この地蔵堂を長年にわたって守ってきた堀内家は、守屋家代々の石工と深い縁があり、堀内家墓地には守屋貞七の作とみられる気品ある延命地蔵菩薩が置かれています。
六地蔵
馬頭観音
如意輪観音
田中さん解説
「六地蔵は、六体のお地蔵様がそれぞれ違う役目を持っています。みんな違うお顔に見えますが、同じ作者だと思います。上まぶたのみで目を表現している作風が貞七のものではないでしょうか。馬頭さんも如意輪さんも貞七の特徴である『天衣(てんね)』がよく表現されていますので、ぜひ観て欲しいと思います」

【六地蔵】…六道のそれぞれにあって衆生の苦しみを救う6体の地蔵菩薩。生前行為の善悪によって、人は死後に、地獄・畜生・餓鬼・修羅・人・天という六道の境涯を輪廻、転生するといわれるが、そのそれぞれに衆生救済のために配される檀陀・宝印・宝珠・持地・除蓋障・日光の六地蔵をいう。

【如意輪観音】…智慧、財福、福徳授与、安産、延命のご利益があるとされる観音様。「如意」とは意のままに智慧や財宝、福徳もたらす如意宝珠という宝の珠のことで、「輪」は煩悩を打ち砕く法輪を指す。
石仏巡礼その5「光前寺 賽ノ河原地蔵尊・肥野喜六の小地蔵」
(駒ヶ根市赤穂)
美しい光前寺の境内。田中さんと一緒に巡礼
長野県下屈指の大寺で、南信州随一の祈願霊場として広い信仰をあつめる光前寺。早太郎伝説やヒカリゴケでも広く知られています。

境内の一角、普段はあまり足を踏み入れず見過ごしてしまう本堂南西の杉林に、「賽ノ河原地蔵尊(さいのかわらじぞうそん)」が静かに佇みます。真ん中にある親地蔵は名工守屋貞治の「半跏思惟像(はんかしいぞう)」。親地蔵を中心に何体もの小地蔵が立てられ、小石が積み上げられています。
賽ノ河原地蔵尊
守屋貞治作の親地蔵「半跏思惟像」
田中さん解説
「昔のお百姓さんたちは、子どもがたくさんできても貧しくて育てられなかったり、水子供養などをするために、親地蔵に救いを求めてここに小地蔵を立てたなどと言われています。半跏思惟像の足下にも子どもと積み石が彫られていますね。鬼に追われてどうしようもない、親地蔵に助けてくださいとすがりつく2体の子どもたちです。この場所は、幼い我が子を亡くし悲しみにくれた人々の心の拠り所となってきました」
肥野喜六作の小地蔵
「小地蔵の中には、地元駒ヶ根の石工、肥野喜六(ひのきろく)の作品もあるんですよ。肥野喜六は幕末から明治にかけて活躍し庶民に愛された石工です。見てください、可愛らしいお顔でしょう。このお地蔵様の作り方は、たとえば30cmくらいの四角い石柱を切って、そこからこけしをつくるように刻み出していますね。私はこれを『こけし型』と呼んでいます」
石仏巡礼その6「花文字の道祖神」
(伊那市高遠町長藤塩供集落)
ひなびた農村風景の中に、ユーモラスな遊び心を持った珍しい石神があります。大きな石に装飾文字で彫られた道祖神、通称「花文文字の道祖神」(旧塩供集会場跡)です。

高遠から茅野へ抜ける杖突街道は別名「石工街道」と呼ばれるほど石工の多かった地域。藤沢谷は名工・守屋貞治の生家があることでも知られています。集落の至るところに石神・石仏が祀られており、高遠石工について知るならば、ぜひとも訪れて欲しい場所です。
花文字の道祖神
田中さん解説
「縦138センチメートル横97センチメートル、これだけ大きな道祖神は珍しいですね。見ればわかるように道祖神の文字を装飾的に見事に彫り込んでいます。豊かな文字文化とこれを彫り込む石工の冴え、二つの力が合わさってできたものです。
花文字の形がよく見ると顔にも見える。一説には『見ざる・言わざる・聞かざる』のお猿さんの顔だという人もいます。ぜひそれぞれの見方で楽しんでもらえたらと思います」

【道祖神】…村境や辻、三叉路などに石造や石碑として祀られる神。厄除や子孫繁栄などの民間宗教の拠り所として全国各地でみられる。文字碑のほか双体道祖神が有名。
石仏巡礼その7 香福寺「咳の地蔵堂・宝篋印塔」
(伊那市高遠町長藤的場)
香福寺は、隠れた紅葉の名所として知られている
香福寺は、上伊那で最古に創建された歴史あるお寺です。745年に高僧行基(ぎょうき)によって薬師如来を本尊とする小さなお堂が建てられ霊場が開かれたのが始まりだそうです。やがて823年に弘法大師空海がこの地を行脚したときに、大きな薬師堂を建て大日如来を本尊に真言宗としました。高遠石工が活躍していた江戸時代に、すでに千年の歴史を持つお寺がここにあったということが凄いですね。

ここには、向山重左衛門(むかいやまじゅうざえもん)の「咳の地蔵堂」をはじめ、「宝篋印塔」「不動明王」があり、風情ある古刹の雰囲気とともに、巡礼を味わうことができます。
咳の地蔵堂
田中さん解説
「咳の地蔵堂は、6体あるうち大きな延命地蔵菩薩と手前中央の薬壺を持った地蔵尊が向山重左衛門(1690年頃~1773年)の作ではないかとみています。特徴は、お顔と頭髪との境目の薄い線。それから目鼻立ち、目は水平に細く彫ってあります。そして口元がピリッと跳ね上がっているところが重左衛門によく見られる特徴です。ほかの4体は誰の作かはわかりませんが、弟子でしょうか。

境内を奥に進むと、享保7年(1722年)の宝篋印塔があります。実に均衡のとれた美しい塔です。隅飾りの部分が笠の形になっているのが少し変わった形ですね。名工・守屋貞治が生まれる40年も前に、地元にこれだけのものをつくるとは、高遠石工の技術がいかに優れていたかがわかります。ここは隠れた紅葉の名所、ゆっくり歴史の旅を楽しんでもらえたらと思います」
宝篋印塔
石仏は、1つとして全く同じものは存在しません。その一つ一つに込められた思いがあり、ストーリーがあります。

石仏を訪ね伊那谷を隅々まで歩いてみると、伊那谷の新たな魅力に気付いたり、この時代に生きた人々の暮らしや息遣いまで感じられてきます。 ぜひ、あなたが感じた高遠石工について教えてください。



参考文献:「高遠石工の石仏巡礼ガイド」発行:一般社団法人高遠石工研究センター、「石仏師 守屋貞治」著作:高遠町誌編纂委員会、「高遠石工 石匠列伝 伊那谷に於ける高遠石工の実態を探る」田中清文著